やり直せるのが若者の特権です。
歳をとってからでは手遅れになってしまうことでも
今ならまだ十分やり直せるのが
若者の特権です。

道を外れていることに気がついたなら
そこから引き返すなり
元の道に戻れる道を探すなりして
やり直せばいい。

その苦労を惜しんで
いつまでも誤った道を進んでしまうと
手遅れになってしまいます。

若いうちは
誰かが正しい道を教えてくれますが
歳をとればとるほど
教えてくれるひとは少なくなるからです。

大人になってからでは手遅れ。
若いうちなら十分やり直せます。

いま一度
正しい道を進んでいるか
お互い自問自答してみましょう。
「人事を尽くして天命を待つ」
という言葉がありますが
以前申し上げたように
「 天命に従って人事を尽くす」
でなければならないと
ワシは思っています。

天は我々人間に自由を与えました。
同時に目に見えない天命も与えました。
天命とはひとり一人に与えられた使命のこと。
天はすべてのひとにそれぞれ異なる使命を与えました。

すべてのひとが正しく使命を果たしていれば
この世の中この世界は
皆が幸せに暮らすことができるでしょう。
しかし天は同時に自由を与えました。
その自由をはき違え自分さえよければいいという心が働くようにして
我々を試しているのです。

自由をはき違えると
使命を果たすことはできません。
よって誰かに迷惑をかけることになります。

いま一度
「 自分の使命とはなにか」を
お互い考えてみませんか。

会津藩の6歳から9歳の子どもたちは
10人前後で一組になりました。
この集まりは『 什( じゅう)』とよばれ
様々なことをみんなで学びました。

そのなかの年長者が一人什長( 座長)となり
リーダーシップをとりました。

子どもたちは毎日集まって
什長の「 お話」を申し聞きました。
その内容は『 什の掟』に関すること。
『 什の掟』は地域によって多少の違いはあったものの
最後に
『 ならぬことはならぬものです』
で締めくくるところは
どの什にも共通していたようです。

掟な背いたものには「 制裁」が課せれました。
子どもたちが決めた制裁なので
軽いものは「 謝罪」
重いものは「 絶交」というレベルでしたが
なかには火に手をかざす「 手あぶり」という厳しいものもあったようです。

今とは比べものにならないぐらい不自由な生活をしていた近世の時代であっても
小さな子どもたちだけで
きちんとルールを守り秩序を保つことが出来たのが
我ら日本人。

毎日学校に通って
様々な勉強が出来る現代にもかかわらず
ルールを守れず秩序も保てず
自分さえよければいいという子どもが存在する現実を
我々大人は真剣に受け止めて
正さなければいけません。

ならぬことはならぬものです

日本人なら
後世に伝え続ける義務があると
ワシは思います。

いつもの様に
着々と練習試合の予定がうまっていく男子。
男子が遠征に行く日は
女子は学校でたっぷり練習が出来ます。
また県外から練習試合に来てくださる日は
女子は芸濃で練習します。

残念ながら
まだまだ女子は練習試合を申し込まれるレベルに達していません。

しかし
そろそろ遠征も視野に入れてもいいかと考えています。

全員を連れて行きたいのはヤマヤマですが
まずは選抜メンバーで
計画を立ててみようと思います。

選手たちの視野を
もっともっと広げて行きたいと
思います。

目標は360度の視野。
今はまだ15度ぐらいかな。
美しいものがあるがゆえに
醜いものがあります。
正しいことがあるがゆえに
誤ったことがあります。
いいひともいるけれど
よくないと思うひともなくなりません。
それが世の中というものであり
宇宙万物の法則のようです。

万物の法則には
10対0ってのはないような気がします。
いつの世も
美醜、善悪、上下、左右など
相反する二つのものが交わりながら
この自然界は成り立っています。

どんなことが正しくて
どんなことが間違っているか
それは一概には言えません。
でもその両面が存在するのが宇宙万物の法則であるならば
そのなかで人々がより良い暮らしをするためには
お互いが「 寛容」の精神を持つほか
ないような気がします。

寛容の精神もまた
辛抱という裏面を合わせ持っています。
宇宙万物の法則で生きる以上
ひとは簡単には生きていけないように
なっているようです。